試し読み

月光妖怪

少年は決意した。“恐怖”でこの街を救うことを。

月の光を浴びて心が身体から溶け出してしまった少年カレル。謎の魔女アミティに告げられ他人から姿が見えない『月光妖怪』として「街の人々に悪戯をする」ことに。だが、街には恐るべき“災い”が迫っていた。平穏な街の人々を、そして想いを寄せる少女ユーリアを救うため、カレルは“恐怖”を武器に立ち向かう──!
月光妖怪
  • 原作:tachi
  • 著:月本ナシオ
  • イラスト:崎由けぇき

「ねぇ、知ってる? 今日は十三月一日なんだ」
 広場のベンチに腰掛けたカレルは、隣に座るユーリアに語りかけた。
 首をかしげたユーリアの肩から、金の髪がふわりと流れて日に透ける。
 前下がりに切りそろえられた艶のある髪からは花のような匂いがした。
 すでに夕暮れが近い時間、朱色を帯びたやわらかな色に輪郭がとけこんだユーリアは、教会にある絵のように美しい。
「今日が何日かは知ってるけど……それがどうかしたの?」
 問い返す声はまだどこかあどげない。
 まだ十四歳のユーリアは、仕立てのいいワンピースにブーツを身に着けており、やわかで品のいい仕草を見せる。
 いつの間にかユーリアに見とれてしまっていたカレルは、ハッと我に返って口にした。
「今日はこのリトミシュの街にとって特別な日なんだ」
「特別って……なにか祝祭日だったっけ? カレルと出会ったときみたいな?」
 この街で生まれ育ったユーリアも知らない話のようだ。
「いや、感謝祭とはまた違うよ。そういえば、僕たちが知り合ってもう一年以上経つのか、早いもんだな」
 リトミシュは祝祭の日になると、街中はもとより都市の象徴でもある時計塔があるこの広場で聖歌が歌われたり、催しが行われる。
 機械工房で働くカレルは、そうした日には叔父の仕事を手伝うために決まって広場の露店に立った。両親を早くに亡くしたカレルは、職人の叔父のもとで暮らしており、まさに修行の身でもあるのだ。
 そんな日に、ユーリアはふいに店先をのぞいてくれた客だった。
 露店の棚には、小さな螺子や歯車を使った仕掛け時計や、ランプ、さらにはブローチやネックレスなどの工芸品も置いてある。
「わぁ、すごく可愛らしい……」
「いらっしゃい。気軽に見ていってよ、普段はあまりこういう小物は作ってないから貴重だよ」
 店先で足を止めた少女のあまりの可憐さに、カレルは声が不自然に弾みそうになるのを堪える。
 陳列台の上をひとしきり眺めていた少女は、青い小鳥が入った凝った造りのブローチをじっとみつめたあと、顔をあげてにこりと笑った。
「これ、あなたが作ってるの?」
「だいたいは叔父さんが作ってるんだ。この頃は僕も少し作らせてもらってる、ほらこれとか、そこのやつ」
 少女はカレルが指差したあたりを熱心に見て回ると、紫の石がついたブローチを手に取った。
「お母様への贈り物にするわ。とっても素敵だもの」
 カレルは贈り物だというブローチを小箱に入れて、布袋にリボンをかけながら尋ねた。
「僕はカレル。あの、君の名前は?」
「ユーリアよ。すぐそこに住んでるの」
 嬉しそうに名前を教えてくれたユーリアに、商品を渡すときにカレルは赤い輝石がついたヘアピンを添えて渡した。
「オマケだよ。これは僕が作ったものだから」
「え、もらえないわ。でもふたつは買えないし……」
「いいよ、記念なんだ。僕の作ったブローチが初めて売れて嬉しいから。お祝いにこの赤いピンは僕が買って君にプレゼントしたい……ダメかな?」
 このときのカレルは本音が半分と、ユーリアとまた会いたい気持ちが半分で、思えば必死だったのだろう。
 出会った頃を懐かしむカレルに、ユーリアもまったく同じことを考えていたらしい。
「あのときはカレルが変わったことをいいだすから、すごくびっくりしたわ。でもこうして友達になれたんだから、それが一番嬉しい」
 楽しそうに笑うユーリアの髪に揺れているのは、そのときに贈ったヘアピンだ。
 会うたびに、話すたびにカレルの心は羽のようにひらひらと舞いあがって、幸せになれる時間。
 日頃はめったにしない、積極的な行動をとった過去の自分を褒め称えたかった。
「そういえば、こないだ聞いたんだけどさ。十三月一日の今日は、ふたりで今夜の月を眺めると、心まで溶けてしまってひとつになれるんだって」
「溶けて……ひとつに? なんだかお料理みたいね」
 ユーリアはまだ月が出ていない空を仰いで興味を持ったようだ。
「ね、ユーリア。夜になったらもう一度ここにこれないかな?」
 クスッと楽しそうに笑っていたユーリアは、カレルの言葉に表情を曇らせた。
「夜は……無理だと思う。日が暮れてからは外に出るなって、お母様もお父様もすごく厳しいから。バレたら一ヶ月は外出禁止よ?」
 残念そうにうつむくユーリアに、カレルも眉をしならせる。
 ユーリアは十四歳になっていたが、たまに散歩として屋敷の近隣に出てくる以外には、学校などへはいかせてもらっていないらしい。
 屋敷にさまざまな教師を呼ぶ形で、学んでいるのだという。
 リトミシュでは、ほとんどの子供が十四歳まで一般教養を学び、そこから先は専修学科へ進む者、高等学院へ入るものと進路が別れていた。
 十六歳のカレルは学校を終えたあと、叔父のもとで職人修行についているのだ。
 ユーリアのような、身分ある家柄のひとり娘としては自由に出歩けないのは仕方のないことかもしれない。
 けれど好奇心の強い彼女には、その生活が息苦しそうに見える。まるで籠の鳥のようだ。
 いまこの時間にも、広場の入り口には侍従の男が立ち、お目付役に徹していた。 
「でも、気にならない? 十三月の特別な日は、今夜を逃せば一年後になっちゃうんだし……」
 諦めきれないカレルに、ユーリアは迷うように顔をあげた。
「そりゃあ、気になるけど」
「それに僕にとっても特別な日だから、ユーリアと一緒に見れたら嬉しいんだけど」
 もともとユーリアはとても好奇心が旺盛だ。
「カレルにとって、今日は特別な日なの?」
「そう。じつは今日は、僕がこの街にくることになった日なんだ」
「カレルはリトミシュで生まれたわけじゃないのね? そういえば、いまいるのは叔父様の家なのよね?」
 詳しく話を聞きたそうなユーリアは、カレルが今夜その話をしてくれるつもりなのだと気づいたようだ。
「うーん……わかった。抜け出せるか今晩試してみるわ。夜にここにきたら、その話を聞かせてくれる?」
「もちろん、約束する! きっと月も特別綺麗だよ」
 ユーリアの返事にカレルはすっかり舞い上がって、濃い朱色と紫に染まりつつある雲を眺めた。
 ちょうど広場の中央にある時計塔の、巨大なからくり時計が鳴り出した。

 リ、ゴーン  リ、ゴーン リ、ゴーン……

 荘厳な鐘の音とともに、文字盤の下に連なっている円形の小窓がひらき、にぎやかに人形があらわれる。 
版面部分はいくつもの円盤が複雑に重ねられ、天空を示した玉で飾られている。
その上にあらわれるのは、星の杖を手にした聖人たち。
羽を持つ赤子や、獣の獅子を持つ怪物、さまざまなモチーフがそれぞれを追い、星月のめぐりを思わせる動きをみせ始めた。
この時計塔は首都リトミシュの街を見下ろす位置にあり、街の誰もが毎日眺めて暮らすシンボルだ。
そしてそれは、ニンベルク共和国のなかでこのリトミシュの街が、機械やからくり工学に長けた技術を誇る証であった。